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札幌高等裁判所 昭和46年(ネ)143号 判決 1973年5月30日

控訴人

(第一四三号事件)

小林孝

外三名

右四名代理人

中島達敬

外二名

被控訴人兼控訴人

日本国有鉄道

右代理人

鵜沢勝義

外六名

主文

原判決中控訴人日本国有鉄道の敗訴部分を取り消す。

被控訴人吉田清勝、同村上義雄および同佐久間慶一の各仮処分申請を棄却する。

控訴人小林孝の控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審を通じ、控訴人小林孝、被控訴人吉田清勝、同村上義雄および同佐久間慶一の負担とする。

事実《省略》

理由

当裁判所は、申請人らの本件仮処分申請はいずれも理由がないものと判断する。その理由は、次のとおり付加、訂正して、原判決理由冒頭から第四までの理由説示を引用する。(編注、以下付加訂正部分が三七か所に達するので本判決の指示に従い付加訂正後の判文を掲げる。)

(本案前の主張について)

国鉄法一条、二条の規定によれば、被申請人が従前純然たる国家行政機関によつて運営されてきた国有鉄道事業を国から引き継ぎ、これを能率的に運営発展せしめもつて公共の福祉の増進に寄与する目的をもつて設立された公法上の法人であることは明らかであるが、その事業の本質が一般私企業によつて経営され得る性質のものであることに鑑みると、被申請人が右のような公法人であることをもつて、直ちに被申請人とその職員の雇傭関係が公法関係であるとか、本件免職が行政庁の処分であるとかの判断を下しえないことは明らかである。そして、被申請人とその職員との雇傭関係等の性質は、結局実定法の規律の仕方によつて定まると解されるから、以下において、右に関する実定法の規定について、検討する。

まず、被申請人の職員が憲法一五条二項にいう全体の奉仕者としての公務員に該当すると考えることができるとしても、同条項は国民主権主義のもとにおける公務員の基本的な立場を宣言したものであつて、被申請人とその職員との雇傭関係の法的性質について直接規定したものと解することはできないから、同条項により右関係が公法上の関係であるとの結論を導きうるものではない。

次に国鉄法、公労法の規定をみるに、国鉄法二七条ないし三二条において、職員の任免の基準、給与、分限、懲戒、職務専念義務等に関する事項につき国家公務員に関するものと類似の規定をし、同法三四条一項で職員を法令により公務に従事する者とみなす旨規定し、公労法一七条で職員及びその組合に争議行為を禁止しているが他方、国鉄法三四条二項において役員及び職員には国家公務員法は適用されない旨規定し、同法三五条において、職員の労働関係に関しては公労法の定めるところによるとされ、公労法八条はその職員に対し、賃金、労働時間等昇職、降職、免職、懲戒の基準に関する事項、その他労働条件に関する事項について広範囲な団体交渉権を認め、被申請人と対等な立場で自由に労働協約を締結し得る地位を保障し、同法二五条ないし三五条には被申請人と職員との間に発生した紛争について、あつせん、調停、仲裁の制度を規定しており、また、前記国家公務員に関する規律に類似する国鉄法二七条ないし三二条の規定は、性質上同一のものが一般私企業の就業規則等の中にもしばしば見うけられるところである。これらを綜合して考えてみると、被申請人とその職員との関係は、権力関係たる公法関係の性質を有するものと認めるわけにはいかず、実定法上、基本的には、対等当事者関係たる私法関係の性質を有するものとして規律されていると考えざるをえない。なお、被申請人の職員の勤務身分関係がいわゆる五現業の国家公務員のそれに類似しているけれど、右現業公務員は国の行政機関に雇われまた一部の規定を除き国家公務員法の適用をうけるのであるから、実定法上両者を同一に取扱つていないことは明らかである。また、被申請人の職員が一般私企業の従業員と異なつた取扱を受ける面(争議行為の禁止等)があるのは、被申請人の事業が高度の公共性を有することによるものであつて、このことは、被申請人とその職員との関係が基本的に私法関係であるとの前記判断と相容れないものではない。更に、公務員等の懲戒免除等に関する法律(昭和二七年法律第一一七号)二条及び日本国との平和条約の効力発生に伴なう国家公務員等の懲戒免除等に関する政令(昭和二七年政令第一三〇号)一条において、昭和二七年四月二八日以前の事由に基づく被申請人職員の懲戒の免除について政府がこれを行なう旨規定しているのは、被申請人職員の大部分が国鉄法施行の際国家公務員から移行した事実に鑑み、法律が特に右事項に限り被申請人の職員を国家公務員と同様に取扱おうとしたものと解され、また、国鉄法三一条がその職員の懲戒を行なう者を被申請人の総裁と規定したのは、懲戒処分の性質に鑑み、被申請人の代表者である総裁に対し法律が特にその決定権を与えたもので、懲戒権の行使の主体は被申請人であると考えられるから、これらのことも被申請人とその職員の雇傭関係についての前記判断に影響を与えるものではない。

以上によれば、被申請人とその職員との雇傭関係の本質は私法的関係であり、国鉄法三一条一項一号に基づいてなされた本件免職は、行政庁の処分ではないから、被申請人の本案前の主張は採用することができない。

(本案について)

第一申請人らがいずれも被申請人に採用された職員であり、申請人吉田、村上が札幌管理局内追分機関区に、申請人佐久間、小林が同局区内岩見沢機関区に勤務していたこと、申請人らがいずれも動労の組合員であり、申請人吉田が動労追分支部の責年部長を、村上が動労地本青年部の副部長を、小林が動労岩見沢支部の書記長をしていたこと、しかして、被申請人が申請人らに対して昭和四一年一〇月八日付で国鉄法三一条に基づき本件免職の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

第二入園闘争について

一学園の設置、機関士及び気動車運転士の養成経過等に関する事実摘示第四の三の1の(一)の事実及び乗員過剰による機関士等の降職等による在職一四年以上の機関助士が多数に上つたことなどに関する同(二)の事実はすべて当事者間に争いがない。

(編注、右引用部分を掲げる。)

事実摘示第四の三の1の(一) 被申請人による学園(編注、北海道鉄道学園をいう。)機関士科、気動車運転士科の開設及び機関士等の養成は、被申請人の事業上の必要から生じたものであることはもちろんであるが、被申請人の定める運転関係職員採用規程養成機関教育規程等によると、機関士並びに気動車運転士になることを希望する者は、まず最初に整備掛として採用され、一定期間以上その職務に従事した後入園試験を経て学園普通部機関助士科に入園し一定の教育と試験を経て機関助士となる。しかして、機関士または気動車運転士となるためには、高等学校卒業者は二年九ケ月以上、中学校卒業者は三年九ケ月以上機関助士として在職した者(以下「有資格者」という。)が入園試験によつて学園普通部機関士科または気動車運転士科に入園し、一定期間の教育を受けた後終末試験において陸上汽罐士一級の国家試験(機関士になる者のみ)に合格し、機関士見習、または気動車運転士見習となり、更に実務見習三ケ月以上を経験した後、運転に関する学科及び実務試験に合格しなければならない。

(二) しかして、被申請人は、戦後乗務要員が過剰になつたため、昭和二四年経歴の新しい機関士を降職し、「副機関士」として機関助士の職務を行なわせ、また機関士見習も機関助士に、機関助士を副機関助士にそれぞれ降職し、副機関助士には整備掛の職務を行なわせ、また新規機関士の養成を同年から二八年まで五年間中止したこと等から、一時は機関助士在職一四年以上の者が多数に上つたこともあつた(編注、引用部分おわり。)

二<証拠>を総合すると以下の事実が疎明される。すなわち

1 被申請人は前記のように機関士等の養成をさしひかえていたが、その後列車の走行距離の伸長、列車本数の増加等により、昭和二九年四月から再び機関士等乗務員の養成を始めることとなつたが、動労の要求も容れて先ず前記の副機関士を優先的に入園させ、昭和三三年ころ副機関士のほぼ全員が機関士に復職した。ところで、学園入園者数或いは入園受験者数は被申請人の乗務員需給計画ないし試験当日の現場要員数の確保に密接な関係があることから、被申請人の北海道支社、札鉄管理局と地本との間では、昭和三四年ころから毎年団体交渉により入園者数が決められてきた。しかして、昭和三四年ころは、機関助士としての在職年数が長く、また高年令の機関助士(以下「古年者」という。)が多く存在する実状にあつて、入園試験がペーパーテストによつて行なわれるため、それらの者にとつては受験準備のために相当の努力を要するうえ、新制の高等学校を卒業した者に比べると必ずしも有利とはいえなかつた。そこで、地本は、このような古年の機関助士は既に身体検査、適性検査、脳波検査に合格しているのであり、かつ長年の実務経験により、機関士としての職務の完全な遂行が可能であるのに、机上のテストによる試験制度のためいつまでも機関士に比して低い労働条件に甘じなければならないのは不当であるとの立場から、札鉄管理局に対して昭和三四年ころから古年者を優先的に学園機関士科、気動車運転士科に入園させるべく要求するに至つた。これに対し北海道支社はもちろん、札鉄管理局も地本の右要求は専ら被申請人の管理運営事項に属するとして、これについて地本と正式な団体交渉をすることを拒否したが、受験当日及び入園中の現場要員の確保、年休計画、助勤等について組合側に協力を求めなければならない立場等もあつて、右入園者数を決定した後札鉄管理局の運転部(運転部長機関車課長、総務課長ら)或いは総務部(主として労働課長)を通して同年ころから毎年一月から二月ころにかけて非公式ではあるが古年者優先入園に関し地本の役員らとの間で事実上の団体交渉に応じてその結果、昭和三四ないし三六年の機関士科入園試験(年二回施行)のうち昭和三五年三月施行の試験を除き受験有資格者の中で、年二回施行のうちの一回は機関助士在職年数一〇年以上の者、他の一回は同一四年以上の者をそれぞれ優先的に受験させることを約し、そのとおり実行した。そして、昭和三六年五月二六日被申請人本社と動労本部との間でも昭和三七年度の機関士科入園について、年令三五才以上、機関助士経歴一五年以上、高等小学校卒業者で昭和二〇年以前に採用された者の条件に該当する者に限り特別な試験を行なつて入園させるべき合意が成立し、翌昭和三七年実施されるに至つた。

ところで、地本は、札鉄管理局との間で事前に右の如き先任順に優先受験させるべく合意が成立すると、予め作成されている札鉄管理局内の各機関区の機関助士の名簿からその都度該当する入園優先者を拾い上げて、その氏名を組合支部に伝え、各支部において右該当者は、事実上組合の指示を受けて当局側(機関区長)から入園試験願書の交付を受け、かつこれを提出し、支部によつては、機関区長から組合が一括して右該当者の願書の交付を受け、かつこれを提出していた。そして、該当する受験者が入園予定者数を上回つたときは不合格者が出たが、そうでない場合でも当局側は、常に試験の点数を重視し、合格点(全科目四〇点以上平均六〇点以上)に達しない受験者がいると、その名前を予め地本に知らせたが、地本は、当局に対して極力その者を合格させるよう交渉し、右の者がそれでも不合格とされた場合は次回に必ず入園させるべく更に交渉を続けていたため、結局当局も右要求を受け入れる結果になる場合が多かつた。次いで、地本は昭和三七、八年度中に年令三四才以上、機関助士在職一四年以上の者を解消すべく当局側と交渉した結果、未だ入園できない該当者も順次減少し、昭和三八年四月施行の入園試験の際には優先入園者の基準を機関助士在職一〇年まで引下げるに至つた。

2 昭和三九年に入るころから当局側は入園交渉の中で地本に対して昭和四〇年以降はこれまでの入園方法をやめるべき旨主張し始めたが、地本はとりあえず昭和三九年内に機関助士在職一〇年以上の者を解消すべく当局に強く要求し、一応これら該当者を優先入園させる旨の了解を得た結果、同年四月から昭和四〇年二月までの入園者一四四名のうち在職一〇年以上の者が一〇五名、同年七年以上一〇年未満の者が二〇名を占めた。しかしながら、その間、昭和四〇年二月施行の入園の試験の際は組合側が譲歩したため若年者も相当数入園した。そして、そのころから同年度分の入園についての交渉が行われたが、当局側は、乗務要員不足を理由に同年四月入園の試験以後は優先入園の方法をとらず、通常の競争試験による選抜を行なう旨強く主張した。これに対し地本は、当局運転部との間に右優先入園について折衝を続けていたが、同年二月二三日には、従前のように正式の団体交渉としてではなく、関係担当部門との交渉の席上において(出席者は、地本側三役他二名、当局側は運転部長、運転部総務課長、機関車課長他二名)、当局側に対し、「(1)同年四月の機関士科入園の際には機関助士在職九年以上の者を優先的に受験させ、この段階で在職一〇年以上の者を全員合格させる。(2)同年一〇月の機関士科入園の際には同八年以上の者を、(3)昭和四一年一月機関士科入園の際には同七年以上の者を、(4)同年二月機関士科入園の際には同五年以上の者を、それぞれ優先的に受験させる。」ことを強く要求した。当局側においては、当時輸送が増加して乗務員関係の要員が特に不足している状態であつて、この乗務員の確保(具体的には年次有給休暇請求をできるかぎり差控える)につき、従前以上に組合側の協力を必要としていたところから、譲歩を余儀なくされ、結局当局運転部としては、遅くとも同年三年六日までに、地本側の右提案どおり努力する旨を約するにいたつた。

なお、右約定については、被申請人主張のように正式な文書が作成されてはいない。しかし、当局側は、従前から入園の受験資格の問題は管理運営事項であるから正式な団体交渉の対象にはならない、との前提をとつていたところから、関係担当部門と地本との間に、実際上これについて取極めがなされても、双方が確認した事項は必ず実行するとの約束のもとに、右取極めを文書に作成しないのを慣例としていたことが<証拠>によつて疎明されるから、右約定の文書が存在しないことは、なんら右認定を妨げるものではない。また、被申請人主張の地本の昭和四〇年度経過報告書(甲第一一号証一および二)も、右約定がなされたことを前提としている趣旨に窺われるから、右認定に沿うものである。

3 しかしながら、昭和四〇年四月入園の試験(合格者五〇名)において機関助士在職一〇年以上の者が一一名不合格とされたため、地本は札鉄管理局運転部を相手に右の者を追加合格させるべく交渉を進めたが、運転部長はこれら不合格者については同年一〇月に行なわれる入園試験(一一月入園者)まで待つようにとの回答をしていたのに、同年夏の臨時列車増発等についての団体交渉の席上で地本から出された前記二月二三日提案の合意事項についての質問に対し同局総務部長は当局としてはそのような合意をしたことはないとの態度を打出し、次いで、当局側は札鉄管理局長、総務部長の発言を通して、地本の組合員のみに特別な入園方法を認めるのは不当であるから、今後規程どおり先任順などにとらわれない試験をしなければならないとの見解を表明するようになつた。一方、地本は同年九月一四日一五回地本大会において、入園試験制度の撤廃、当面は先任順による入園と年次別受験制度の確立、在職一〇年以上の者を全員入園させること等を運動方針として決定した。しかして、同年一〇月に行なわれた機関士科入園試験(合格者三〇名)においても当局は右一一名のうち、再び四名を不合格とする旨を示したので、地本は当局に強硬に迫つてようやく右四名の追加合格を認めさせ前記合意事項(1)(2)の目的をほぼ達成することができたが、その交渉の中で、当局側は労働課を通して入園問題は被申請人側の管理運営事項であるから今後一切団体交渉の対象にしないし優先入園の取扱いをしないことを明らかにした。これに対し、地本は昭和四一年四月以降の入園問題については話合う余地はあるが、それ以前に施行される入園試験については前記合意事項(3)(4)に従つて古年者を優先入園させるべきことを主張し、結局双方の主張は平行線をたどつたままであつた。

4 かくするうちに、札鉄当局は、従前の例に反し優先入園者数等具体的実施方法につき組合側に連絡をしないまま、昭和四〇年一一月一三日昭和四一年一月機関士科及び気動車運転士科入園の試験を昭和四〇年一二月九日行なう旨局報に掲載して発表した。そこで地本は、昭和四〇年一一月一五、一六日に第五二回地方委員会を開いて、入園問題について当局が従前同様団体交渉に応じなければ、入園拒否闘争をするほか年休抑制排除、助勤反対等の運動も行なう旨を決めるとともに、右入園には先の合意のとおり、機関士科については在職七年以上の者を優先入園させるべきであるとの方針を再確認し、該当する者四〇名から願書を組合に提出させたうえ、同年一二月六日地本委員長輪島隆治むから札鉄管理局総務部に対して右四〇名を優先入園されるべきことを申し入れた。しかしながら、当局側は、昭和四一年一月以降の入園については通常の競争試験の方法をとるから、組合側の示す四〇名の者について合格は約束できないこと及び今後は組合による受願者規制をやめるべきことを回答し前記昭和四〇年二月二三日提案の合意の存在を否定する態度に出た。これに対し、地本は、昭和四〇年一二月七、八日執行委員会を開き、右四〇名の願書提出者を含めて全員受験験拒否で臨み、この闘争と年休抑制排除の運動と結合させることなどを決定し、その旨の指令を各支部に発した。一二月九日の試験当日当局は鷲別機関区において鉄道公安官を出動させて同機関区内において二名に対し試験を行なつたほか、受験拒否により試験を施行することができなかつた。

5 昭和四一年になると、札鉄管理局では運転部や総務部の課長らが各機関区を巡廻して機関区長や助役らを督励し、同年一月二九日ころから局内の機関助士に宛て運転部長、総務部長名で、組合側の要求する先任願の入園制は不当であること、前回は組合の反対で三八名の入園不足が生じているから次回にはすすんで受験して欲しいことなどを記載したパンフレットを送り、これと平行して北海道支社からも同様のパンフレットが送られていた。右の事情等から地本は入園者の再募集が行なわれるであろうことは察知していたが、同年二月五日に至り札鉄管理局は、従前の例に反し組合との何らの事前交渉もなく同日付の局報で同年三月の入園者を募集する旨(願書提出締切日同年二月一一日、試験日同月一八日)発表した。そこで、地本は、役員を通して札鉄管理局総務部長らに対して組合に何らの事前通知もなくしてなされた右発表について抗議を申し入れたが、同部長らは「局長の命令である」との答えに終始した。そこで、地本は、今回は組合側の指示する以外の者に対しても願書が交付されるおそれがあるとの考えに立つて全員願書提出を拒否して闘うことに方針を定め、二月七日その旨各支部に指令を出した。次いで同月一四日支部代表者会議を開いて、当局の一方的方針により入園者の募集を強行しようとする態度に抗議するため特休、祭休、年休を一斉にとるべき方針を決定し、同月一六日闘争指令(事実摘示第三の四の1)を発するに至つた(この指令が発せられた事実は当事者間に争いがない。)。そして、同日竹内地本副委員長は、追分機関区にオルグのために赴いていた。

以上の事実が疎明され、<証拠判断省略>

(編注、以下右引用部分を掲げる)

事実摘示第三の四の1 前記のように札鉄管理局と札幌地本が学園入園問題について係争中、被申請人においてその第二四回機関士科入学試験を予定どおり実施することを知つた札幌地本は傘下各支部に対し昭和四一年二月一六日「二月一七、一八日に全乗務員は特休、祭休、有休の順で二日間のうち必ず一日はとるここと」を指令し、更に同月一八日頃地本指令第四八号で「(1)現場長に対して再度交渉を行ない抗議を強化すること。(2)全支部は年休、特休、祭休をとる運動を更に持続的に行なうこと。(3)局長に不当性を追求する抗議の行動を集中すること。(4)二一日の集会に最大限の動員を行なうこと。」を指令し、同じころ「全支部は本部特認指令により二月一八日一二時以降入換速度等次の順法闘争を実施すること。(1)入換速度は一〇キロメートル以下に統一規制、(2)安全側線引上げは五キロメートル以下。(3)連結は一旦停止してから行なう。(4)合図中断は停止、連絡なき場合は応じられない。(5)急制動は緊急以外は使用しない。(6)飛乗り作業は行なわない。(7)食事時間の確保、生理現象に対する時間を確保する。」ことを指令した。(編注、引用部分おわり。)

第三申請人吉田、村上の申請に対する判断

一当事者間に争いのない事実に<証拠>を総合すると以下の事実が疎明される。

1 動労追分支部(昭和四一年当時の組合員は追分本区約五〇〇名苫小牧支区約二〇〇名)においても学園入学については毎年地本の前記方針を受けて、受験資格のある機関助士のうちから先任順に従つて、受験をさせ、昭和四〇年一二月九日に行なわれた前記入園試験の際も、当時願書を提出していた四名を含む資格者全員が受験を拒否するなど入園に関する地本の指示に従つた行動をとつていた。しかし、同月から昭和四一年一月にかけて、札鉄管理局から前記の如き受験勧告により組合の方針に従わずに受験を志す組合員も数名みられるに至つたため、組合側もそれらの者の意思を確認して説得すべく努力を重ねるとともに、他方昭和四〇年一二月ころ追分機関区長滝川和雄らに対して、職制の力を利用するなど無理な方法で有資格の組合員らを受験に勧誘するようなことのないよう申し込み、これを約束させていた。しかして、昭和四一年二月五日当局側の局報掲示により同年三月の入園者募集が行なわれていることを知つた組合側は、直ちに区長らに対して右募集についての交渉を開始し、組合側の指示のない者に対して隠密裡に願書を交付することのないように申し入れた。区長らは、これに対して職場で有資格者に説得を試みることはあるが無理な受験勧誘をするなど積極的な切り崩しや前回(昭和四〇年一二月九日)鷲別機関区において当局側が行なつたような強引な措置はしない旨約束した。そして、受験については、あくまで資格者本人の自由意思を尊重すべき旨が双方によつて確認された。しかして、同月七日ころ、地本から支部組合に対して今回の受験は一切拒否する旨の指令が伝えられたため、支部組合側は、同月八日ころ区長に対して再び交渉し、組合の右方針に反して受験希望者が出た場合は、願書締切日である同月一一日その氏名を教えて欲しいと申し込み、区長も一応これを了承したので、追分支部委員長田原弘らは、同月一二日(願書締切日が一日延びていた。)再び区長に対して受願希望者名を教えて欲しい旨申し入れた。しかし、区長は、願書を提出した者は若干名いるが、今回の入園問題については札鉄管理局と地本との間で現在行なわれている交渉が進展する余地もあるので右氏名を明らかにするのは同月一七日まで待つて欲しい旨回答した。

2 しかして、滝川区長は、同月一五日ころ札鉄管理局の総務部、運転部の各課長と相談した結果、そのころ同区長から受験を勧められ、また自らも受験を希望している伊藤登、秋田稔の両名を同月一七日乗務途中でそれぞれ検査助役新川倍美、整備助役菅茂と交代のうえ下車させて札幌の受験場へ送ることを決め、同月一六日両名にその旨を伝えた。区長は、右の方法により組合側から当然激しい抗議行動を受けることを予想したので、同日朝点呼の際同機関区の助役全員に対して右趣旨を伝えるとともに、組合側の抗議等に備えて翌一七日は待機すべきことを指示し、また、同日夕刻から一八日朝までの間は三名の、その後は一〇名の公安職員を同機関区に待機させるべく手配した。

一方、組合側は、田原委員長を中心に同月一六、一七日の両日にかけて数回に亘つて区長らと願書提出者を受験させないよう交渉すると共にその氏名を明らかにするよう申し入れたが、区長らはこれを明らかにしなかつた。しかし、そのころになると、組合役員らは、態度の曖昧な伊藤、秋田ら数名の者が、あるいは受験するのではないかとの推測を深め、両名に対して問い質したところ、両名とも確たる回答はしなかつたが、同月一七日に至り、乗務直前それぞれ山根らに対して業務後にもう一度話し合うことを約束して追分機関区を出発していつた。しかし、当局側は右両名の受験意思を改めて確認した上当初の予定どおり両名を業務途中で菅及び新川の両助役と交代させ、札幌に赴かせた。

3 一方、追分支部組合員らは、伊藤らを乗務終了後直ちに説得すべく追分駅ホームで待機していたが、午後八時四〇分頃伊藤が前記のように菅助役と乗務を交代し受験のため札幌へ赴いたことを知り、かかる措置は強行なやり方をしないとの区長の前記約束に反するものであると憤慨し、区長らに対して直ちに抗議と責任追及を行なうことを決め、区長ら当局側の者(区長のほか、石井利光、高石嘉範、菅茂、高橋貞美、前田重美、大野秀信、大島八郎の各助役)を呼出し、同日午後九時二五分ころから日頃団体交渉に使用されている区長室(広さ約九坪)において、組合側の者約二〇名(田原委員長、山根副委員長、梅野書記長、竹内地本副委員長、大内幸次乗務員会長、平吹同副会長申請人吉田、村上らのほか支部青年部の役員、その他一般組合員)が参集し、中央のテーブル(約四平方メートル)を挾み、田原、山根、梅野ら組合役員と区長らとが向い合つて座り、申請人吉田、同村上は区長らに近い席に座り、その他の組合員はそのまわりをとり囲む形となつて交渉が開始された。なお、そのころ、秋田も伊藤と同様乗務途中で新川助役と交代して受験のため札幌に赴いた旨の連絡が入つていた。

4 席に着くや、田原がまず最初に「区長酷いことをやつてくれたな、追分の町をメチヤクチヤにするのか」、「秋田の奥さんが組合に秋田の受験をやめさせてくれと泣いて頼んだ、俺は、あれほど区長に受験をやめろと言つたのに、こんなことをしてしまつて、責任はどうする」と発言し、続いて他の組合員らも同調して口々に区長に対し「嘘つき、馬鹿野郎追分の特殊性(追分町民には国鉄職員が多く、互に連帯感が強いこと)を知つているか、労組の言うことを聞かないと村八分になるぞ」などと罵声を浴びせ始めた。申請人吉田も、時にはテーブルを叩きながら「おい、滝川、卑怯者、馬鹿者、それでも血の通つた人間か、貴様みたいな奴はくたばつてしまえ」「家族は自殺するかも知れないのだぞ」「助役も助役だ、無能な助役ども」などと発言した。そして、組合側は、区長らに対して菅助役の乗務交代は、区長が数日前組合に約束した「強引なやり方はしない」との趣旨に反するものであり、また菅助役のような路線の状況にうとい者を突然交代乗務に就かせることは、当局の日頃強調する運転保安に反するのではないかと激しい抗議と責任追放を始めた。区長らは、右の措置はすべて札鉄当局の命令に従つたものであり、また本人の意思を確認の上乗務交代し本人の希望に従つて受験に赴かしたもので、受験を強制したことはない旨応答したが、組合側は納得しなかつた。そして、田原が秋田らの家族にこのことを知らせてあるのか問い質したのに対して区長が知らせていない旨答えたため、更に室内は騒然として組合員らの抗議も強まつた。そして、組合側は、ともかく伊藤らに会つて本人の意思を確認したいので、両名に会わせて欲しい旨強硬に要求した。その中で申請人吉田は、「秋田の家族では秋田が受験することで離婚話まで出ているのを知つているのか、秋田を連れ戻せ、局へ電話しろ」「くたばれ鬼、お前らを村八分にするぞ」などと発言し、更に申請人吉田、村上は、それぞれテーブルを叩きながら「こんな計画、誰がした」と発言するに至つた。右抗議が始まつてから間もなく、組合員は四、五〇名に増え、区長室に入りきらず、隣の部屋に溢れている状態であつた。当局側はこれに対し、検討するため休憩を申入れたので、組合側はこれを容れて午後一〇時一〇分ころ組合事務所へ引揚げた。

5 休憩中、田原ら組合役員は、協議した結果、伊藤らの意思を変えることは殆んど期待できないが、ともかく、一度会つて説得を試みることで組合側としては事態に収拾をつけることとした。一方、区長らは、札鉄管理局からの連絡により、秋田らが札幌に着いたことを知つたが、組合側が秋田の家族のことを強調することなどから、とりあえず組合側に秋田の家族を会わせることにし、約二〇分後に再開された席上でその旨を組合側に伝えた。しかし、組合側は、本人に会わせることを要求して譲らず、当局側と押し問答を繰り返したが、その間も先刻の交渉の場でなされたと同様組合員から激しい非難、抗議の発言がなされ、申請人吉田も区長に対して「手前の言うことなんかあてにならない。死んでしまえ」などと発言した。ところで、午後一〇時四五分ころに至り、札鉄管理局小野機関車課長から区長室に追分機関区の様子を尋ねた電話がかかり、石井首席助役がこれを受けたのであるが、伊藤らと組合員を会わせることはできないとの内容であつた。電話が終ると組合員は石井に対してその内容を知らせるようはげしくつめ寄つたが、石井は組合側の強硬な態度から判断して、そのまま電話の内容を伝えると更に混乱が生ずると判断し、その場を切り抜ける手段として、組合員らに対し、「伊藤らの件は区長に一任するとのことであつた。」と故意に事実に反した報告をした。

6 そこで、区長らは午後一一時過ぎころ協議のため休憩を申入れ、検討した結果、組合員を札鉄管理局に赴かせて両名に会わせないかぎり、どのような事態に立ち至るか計りしれない、と判断し、やむなく、前田指導助役が付添の上組合側から田原委員長一人を札幌に赴かせて札鉄管理局守衛室において、秋田らに面会させることとし、田原ら組合三役のほか組合員五、六名を区長室に入れ、その旨を組合側に伝えた。そこで、午後一一時四五分頃前田、田原は札幌に出発した。この間申請人村上は「おい滝川追分の特殊事情を知つているか、追分というところはおそろしいぞ」などと発言していた。

7 ところで、田原らが出発した後区長らは、午前〇時一五分ころ、札鉄管理局の伊藤労働課長と小野機関車課長に意向を確かめるべく電話したところ、いずれも組合員らを秋田らに会わせることはできないとの返答を受けた。

一方、田原らは、午前一時過ぎころ札鉄管理局に着いたものの、運転部から秋田らとの面会を拒絶され、やむなく追分機関区へ引返すことになり、田原は、追分に残つている竹内地本副委員長にその旨連絡した。

8 田原からの右報告を知つた組合員ら五、六〇名は、早速区長室へ詰めかけ、竹内地本副委員長、梅野書記長ら残つた組合役員らを中心として区長らに対し組合側をだましたとして激しく抗議し、午前二時三〇分ころからは札幌から戻つた田原も加わつてきびしい言葉で非難を浴びせ責任を追及したが、これに対する当局側の回答は明確さを欠き「結果的にはそうなつたが、初めから騙していたわけではない、局の了解はとつていなかつたが、後で電話をすれば会わしてもらえると思つていたが、判断が甘かつたとか」、「石井助役が電話を聞き違えた」と説明したが、組合側は納得せず、その場は混乱の度を加えていつた。

この間における組合員らの抗議のうち、申請人吉田、村上の態度は殊に激しく、度々机を叩き、「貴様死んでしまえ、お前らの家族、追分にいられなくしてやる、一体どういう形で責任をとるつもりだ」などと大声で発言していた。

しかして、午前三時ころ伊藤らの家族を訪ねに出掛けていた長谷川、平吹の両組合員が帰つてきて家族が不在であつたと報告した。組合員らは、当局側の者が右家族をどこかに隠しているのではないかとの疑念を有していた上、家族が入園問題で当局や組合側の間に立たされ、苦しんだ末家出でもしたのではないかとの不安も生じたため、右報告後は専ら家族の問題に移行し、区長らに対してその居場所を明らかにするよう追及した。そして、申請人吉田は、「俺達がこれ程心配しているのに、そこら辺の奴、よくも平気でいられるな、もう一度本人に聞いて家族の居場所を捜せ」「人命の問題だ」などと言いながらテーブルを叩いた。他の組合員も同様の発言をしていたが、申請人村上も区長らに対し「労働課へ電話せよ」と要求した。そこで、区長は他の助役に命じて札鉄管理局労働課へ問い合わせたところ「本人に聞いたら心配ないと言つている」との返答を受けた。しかし、組合側は、伊藤ら本人からの直接の返答が得られなかつたため、未だ不安を拭い切れないとして、「家族が首吊りでもしたらどうする」などの発言を繰り返し、区長らに対し秋田らの家族を捜すように強く要求した。かくて、午前三時一〇分頃当局側二名(菅、高橋両助役)と組合側二名(鎌田晃一、藤田邦夫)が家族を捜しに出掛けた(なお、菅ら両助役は秋田ら両名の住所、その親戚宅を尋ねたが家族の所在を確認することができず、なお秋田の妻の実家宛に、機関区に連絡を依頼する趣旨の電報を打つて、午前五時頃区長室に戻つた)。そして、区長自身も組合側から執拗に要求されて高石助役らとともに追分の派出所へ赴いて右家族の捜査を依頼した。

なお、申請人吉田も派出所に同行したのであるが、区長が捜索を依頼して派出所を出てからも、執拗に「労働課に電話せよ」と要求したので、区長において追分駅の事務室から札幌管理局の労働課佐藤首席に家族の問合わせの電話をしたところ、前記電話による問合わせの時と同様に、「心配ない、捜す必要がない」との趣旨の返事であつた。この電話の際に同申請人は電話に耳をあてながら、佐藤首席に、「この嘘つき野郎」と大声で発言していた。

9 そのころ、地本では、さきに秋田に面会するべく札幌に出てきた田原から得た追分の状況報告をもとに竹中九仁男書記長、首藤、日下執行委員らが協議した結果追分機関区長らの措置は極めて不当であると判断し、午前三時三〇分ころ、追分にいる竹内副委員長に対し電話で、区長らの責任を追及し謝罪文をとることを指示した。そこで組合側は、午前四時ころから再開された交渉の席で竹中からの右指示に従い区長らに対し札幌で秋田らに会わせなかつたこと、秋田らの家族に当局側から何の連絡もなされていなかつたこと及び菅助役らの交代乗務が運転保安に反することなどについて謝罪文を要求した。しかしながら、区長らは、組合側を納得させるような応答をしなかつたため、組合員らの語調は再び激しさを加え、申請人吉田、村上は、時折机を叩きながら区長に対し「伊藤、秋田の家族がいなくなつたのに、よくも平気でいられるものだ、どこかに隠したのだろう、このろくでなし」などと、更に石井助役に対しても「首席、椅子に腰をかけているとは生意気だ、立て、何をとぼけているのだ、お前、唖か、つんぼか、その態度はなんだ、能なし野郎、馬鹿野郎」などと発言し、他の組合員も同様の発言をした。石井助役は、「騒がしくて電話がよく聞えなかつた」などと答えていたが組合側はやはり納得せず、更に同人を厳しく追及した。その結果、石井は、「この混乱を招いた責任をとる」と言い出した。すると、申請人吉田、村上ら組合員は「責任をとるとはどういうことだ」「辞めてしまえ」などの言葉を浴びせて詰問した。

そこで石井がやむを得ず「助役をやめる」と答えると、組合員が隣りの調査室から用紙と硯を持ち出してきた。申請人村上がこれを石井の前につきつけて、「さあ辞職願を書け」といい、石井が躊躇していると、申請人吉田、村上らにおいて、「さあ書け」とせき立てて、石井に辞職届(前掲乙第一三号証)を書かせ、これに印を押させたうえ、さらに一回読み上げさせた(この時は、午前五時一〇分頃であつた)。そして、梅野書記長がこれを受け取り、他の組合員にその「コピー」をとらせたうえ、後記のように午前八時頃組合側が区長室を最後に引きあげる際に、田原が右辞職届を石井に返した。

組合側は、続いて区長らに対する追及を始め、口々に「首席助役一人に責任を負わせるのか」「お前も辞表を書け」などと発言したが、申請人村上も「お前の女房役が責任をとつて辞めると言つている、お前はどうする、責任をとれ」などと区長を追求した。区長は、「そんなもの書く必要もないし、書くつもりもない」と拒否していたが、薬罐の水を飲もうとしたところ、申請人吉田は、大声で「水を飲むとは不謹慎だ」と怒鳴つたので、区長はその気勢に押されて水を飲むのをやめる場面も生じた。更に、区長が「事態が納まつたら進退伺を出す」と発言すると申請人吉田、村上は「今すぐ出せ」などと要求し、「首席に責任を負つかぶせて自分だけ良い子になりたいのか、それ程出世したいのか」などと言い、更に申請人吉田は「貴様みたいな奴はくたばれ」などと言いながら机を叩いた。

ひきつづいて、組合側は、午前五時三〇分頃から同六時すぎ頃まで各助役に対して、一人つづ順次に次のように全く一方的に抗議をなし、いずれも助役らの意に反した、なんらかの謝罪の言葉を述べさせた。

(イ) 新川助役に対し。申請人吉田、村上らが、「検査助役立て」といつて椅子から立たせ、「検査助役は機関助士の仕事をしてきたこと(秋田と交替したことを指す)についてどう責任をとるんだ」などと抗議し、「混乱を招いて申訳けない」との趣旨の言葉を述べさせた。

(ロ) 菅助役に対し。申請人吉田が、「立て、立て」、「お前は機関助士なんだぞ(伊藤と交替したことを指す)、立て、立て」といつて椅子から立たせ、組合員安部某において、「顔が見えない前に出なさい」といつて区長の横に進み出させて、「あんたどう思うんだ、この事態についてだ」といつて追及した。同助役が答えないでいると、申請人吉田において、「何時つんぼになつたんだ」と責め、同助役に「残念に思う」といわせたうえ、かかる言葉は気にいらないということで、さらに「まだそんな馬鹿なことをいう」、「人非人め」、「当局の犬」などといつて非難した。

(ハ) 高橋助役に対し。組合員らが、「立て」といつて立たせて、組合員安部某、中平浩三において、秋田らを途中交替をさせたことについて詰問し、結局「混乱させたことについて、管理者の一人として残念だ」との趣旨をいわせた。

(ニ) 前田助役に対し。組合員らが、「指導助役、お前立て、ちやんと手をのばせ、足をのばせ」といつて立たせ、申請人吉田において、「お前は指導助役ではないか、こんな未熟者を機関助士として乗務させて良いか、悪いか、どうなんだ」と詰問し、「二度とこのような事をしないといえ」などといつて追及した。

(ホ) 高石助役に対し。組合員らが同様に椅子から立たせて、混乱を招いたとして抗議し、この間申請人吉田、村上が、「高石にやにやするな、不謹慎だぞ、どうなんだ」といい、ついに「助言したがすまない、札幌に行つたのも力が及ばなくてすまない」といわせた。

(ヘ) 大野助役に対し。申請人吉田が、「大野お前眠つているのか」、「大野立つんだ」といつて立たせ、申請人村上が、「お前の恰好なんだ」、「気をつけをせ」、「するんだ」、「こんな事態になつてすまないと思わんのか」といつて非難し、結局「混乱を起してすまないと思う」と述べさせた。

右のように、各助役に対する追及が終ると、また組合員らは区長に対し抗議を繰返し、区長が沈黙していると、申請人吉田、村上らが、「おい滝川何んとかいつたらどうだ」と発言を迫り、ついに区長も、「混乱を招き申訳けない」と答えるにいたつた。

かくするうちに、午前六時二〇分頃派出所から、「秋田らの家族は留守だが、伊藤の父の話しでは、今すぐ捜索願を出すことは考えてはいない」との趣旨の電話連絡があつた。これにより組合側は一時静かになつたが、すぐまた、申請人吉田、村上らは、区長に対し、「家族の居所を捜せ」と要求し、再び家族捜索のことが蒸し返えされてきた。そこで、家族を再度捜すということで、午前六時三〇分頃休憩に入つた。区長は、午前七時頃、再び、菅、高橋両助役を秋田の妻の実家に捜索に向わせた(なお、両助役は、この時は、家族らが親戚に遊びに行つていることを確め、午前九時四五分頃区長室に戻つた)。

10 右の如く秋田らの家族の居場所は依然として判明しなかつたが、組合側は、この段階で事態を収拾しようと考え組合員約五〇名で午前七時ころから再び交渉が開始した。

まず、区長らに対し、組合側が右休憩中に作成した謝罪文に捺印するよう強硬に要求した。すなわち、洋罫紙二枚に、表題を謝罪文として、区長から組合追分支部宛てにしたもので、その下に区長および各助役毎に、先刻の発言内容をもとにして、例えば区長の欄には「職場を騒がせ、町中を騒がせ、家族にも迷惑をかけた責任を感じている」、石井助役の欄には「今回の入所問題で辞職願を提出した」、前田助役の欄には「今回の入所問題では遺憾に思う、信号、駅名の知らない者を乗車させない、今後このような事態が発生しても指導員を絶対使わない」などといつた趣旨の、謝罪の内容をあらかじめ記載したものであつた。そして田原が座つたままでこれを一回読み上げ、申請人吉田、村上らが、「早く押せ、早く押せ」と要求した。そこでやむなく、はじめに石井助役がこれに押印し、次いで区長、以下前田、大野、大島および新川の各助役がこれに押印した。その際、区長が押印を拒否していると、申請人村上が、「責任をどうする」と迫り、また組合員のなかから、「殺してやるぞ」といつた発言も飛び出す状況であつた。(なお、この時印鑑を所持していなかつた高石助役は、抗議終了後、梅野から執拗に要求されて押印し、家族を捜しにでていた菅助役は、区長室に戻つてきた際に、梅野他一名の組合員に要求されてこれに押印した)

続いて、組合側は、(イ)秋田らの家族の所在を明らかにすること、(ロ)秋田らを呼び戻すこと、もし試験が終了しているのであれば、この両名の試験を無効にするように手配すること、(ハ)徹夜の交渉で疲れのでている組合員に対して年休を与えること、等を要求した。これに対し、区長は、右(イ)および(ハ)の点は努力する旨答え、(ロ)の点は拒否した。

かくして、午前八時頃、組合側は右(ロ)の点について「善処を求める」ということで最終的に抗議を打ち切つて、区長室を引揚げた。なお、その際申請人吉田は、立つていた区長の後からその両肩を押しながら、「話にならん、組合事務所に来い」と呼んだが、田原らに制されたため、肩から手を離し、「どうするか覚えていろ」と捨科白を残して区長室を出た。

11 区長、石井助役らはそのまま当日の勤務に就いたが、午後一時ころになつて休暇請求者が続出したためその処理と対策にあたつたが、組合員ら三、四〇名が外勤助役らを取り囲む騒ぎが生じ、公安職員を三〇名動員してこれを排除するなど区長らは一日勤務に追われ、午後八時ころ区長と石井は帰宅した。区長は翌二月一九日激しい疲労感を覚えたため診察を受けた結果疲労のほか主として慢性腸炎と診断され同日から同年三月三〇日まで入院した。石井は、二月一九日にも出勤したが、疲労を覚え同月二八日まで自宅で休養した後診察を受け、自律神経失調症及び急性胃炎と診断されて同年三月二八日頃まで通院加療した。

前掲証拠のうち以上の認定に反する部分は措信することができない。

二そこで、被申請人の申請人両名に対する懲戒権行使の相当性について検討する。

1 機関士養成の学園制度は、前記のとおり一定の経歴を有する機関助士のうちから被申請人が試験の方法によつて選抜し、合格した者に一定の教育を施した後被申請人の運輸業務を担当する機関士としての資格を与えるものであるから、事業経営上の必要に基づくものであり、受験資格、試験科目・方法・時期、定員等入園に関する事項は管理運営事項に該る反面機関士として資格の有無によつて、賃金、将来への昇進等に差異が生ずることも当然予測できるから労働条件と無関係であるとはいえず、これについて組合が団体交渉を要求しても違法ということはできない。札鉄管理局もそれが本来管理運営事項に関するものであるとして、協約上の団体交渉の形式をとることはさけつつも、入園による稼働人員不足を現有人員で補うためには、組合の協力が必要であつたため、運転部又は総務部を通じ毎年地本との間で実質的団交により入園者の選抜に関し、古年者優先、先任順位尊重の取決めをなし、これに応じた入園者選抜を行つていて、これが慣行化していたことに徴すれば、一旦取決めがなされた以上、組合としてこれがその実行されることを強く期待するのは当然であるし、当局側としても、実行を困難ならしめるような特段の事情がない限りこれを実行すべきものである。しかるに、本件では昭和三九年ころから順次古年者が減少し先任順を尊重する必要が以前に比して少くなつたとはいえ、昭和四〇年二月二三日提案の合意の実行につき当局側はあるときはかかる合意の存在を否定し、あるときは管理運営事項の故をもつて白紙に戻すという態度を示し、入園に関する取決め、慣行を無視し競争試験による選抜を強行しようとしたことが、組合側を本件闘争に走らせた発端となつたことは明らかである。

もつとも、機関助士の中から機関士としての適性を有する者を選抜するという学園制度本来の姿からみれば、組合側の主張する先任順による優先入園ということは、少くとも、戦後の特殊事情により生じた古年者が減少した段階においては、年功序列的色彩が強く、それ程合理性を有するものとは思われない。この意味で、当局側がこれを是正しようとしたこと自体誤つたことではない。一方、前記事実によれば、地本は、右主張を貫くため受験希望者の意思を尊重することなく、説得に名をかりて受験資格者を組合の統制下におき、一律に受験拒否の闘争手段に訴えたものと認めざるを得ないのであつて、かかる組合側の態度にも反省すべきものがあるといわざるを得ない。

2 ところで、前記疎明事実によれば、組合側の本件抗議行動は、当初においては、当局側が秋田、伊藤両機関助士を受験さすべく、その乗務途中でそれぞれ菅、新川両助役と交替させて札幌に赴かせたことに対する抗議と、秋田ら両名に会わせるよう要求することであり、その後、秋田らに会うことが許されないことがわかつてからは、組合側が札幌に赴いたことは徒労であつたこと、当局が秋田らの家族に連絡し或いはその所在を確認していなかつたことに対する抗議を加え、さらにはその捜索を要求し、その挙句、これらの点につき当局側に対し謝罪を述べさせ、謝罪文に押印させた、ものであつた。

しかしながら、秋田らは組合側の説得にかかわらず、受験を希望していたのであるが、当時の組合側の強い統制からすれば、その希望を実現させるためには、両名を途中で交替させて受験に赴かせざるを得ない状況にあつたと認められるのである。したがつて、当局側が両助役(いずれも機関士、機関助士の経験、資格を有することは<証拠>によつて疎明される)と交替させて右の措置をとつたことについては、特段の罪はない。当局側、組合間に、あらかじめ受験希望者の氏名を組合側に知らせるとか、鷲別機関区のような強引なやり方はしない、との約束が存したといつても、同時に、当然のことながら受験希望者本人の自由意思を尊重すべきことが確認されているのであり、右交替も秋田らの意思を尊重してのやむを得ない措置であつてみれば、右強引なやり方をしないとの約束に反したものとはいえないし、氏名を明かさなかつたことをもつて当局側を責めるのは当を得ない(なお、組合側は、当局側から秋田らの氏名を知らされなかつたが、秋田らが受験を希望していることを窺知し、説得に及んでいるのであるから、これにより、組合側の方針が不当に害されたとはいえないわけである)。

また、秋田らの家族への連絡、所在の確認等をしていなかつたことについても、当局側がこれをなすべきであつたとする合理的根拠は見当らない。

さらに、石井助役が札鉄管理局機関車課長から秋田らを組合員に会わせられない趣旨の電話を受けていながら、田原らを札幌に赴かせたことについても、前記認定事実に徴し、組合側の強硬な態度から、事態収拾を期待して、やむを得ずなされたものであることが明らかであるから、かかる事実をもつて、一方的に当局側に責任を追及することは相当でない。

要するに、組合側が本件抗議の対象とした事項は、当局側に特段非違がないことか、又は少くとも当局側に対し一方的に責任を追及すべき事柄ではなかつたとみなければならない。

3 しかるに、本件抗議の時間は、二月一七日午後九時三〇分頃から翌一八日午前八時頃までの夜を徹して長時間にわたり、この間、午後一〇時一〇分頃から約一〇分間、午後一一時すぎ頃から翌朝午前一時すぎ頃までの約二時間、午前六時三〇分頃から約三〇分の中断があるにすぎない。なお、午前三時一〇分頃から同四時頃までは、抗議は中断したものの、区長らに対し、警察官派出所に秋田らの家族の捜索を依頼させに赴かしめたものである。

また、その抗議方法も、組合員四、五〇名が僅か約九坪の部屋につめかけて、全く一方的に怒声、罵倒を加え、多数の不当な威圧のもとに、菅、高橋両助役をして二度も長時間の家族の捜索にあたらせ、区長らを派出所に捜索依頼に赴かせ、石井助役に辞職届を書かせ、かつ助役らを順次一人づつ起立させて、区長および助役らに謝罪の言辞を述べさせたうえ、謝罪文に押印させたのである。そして、区長らがいずれも組合側の威圧に押され、或いは畏怖し、或いは心身の疲労のあまり、意に反して右のような行為をなすにいたつたことは、<証拠>によつて疎明できるところである。

もつとも、当局側はあらかじめ組合側の抗議を予想し、当時公安職員四名を配置させていた(この点は<証拠>により疎明される)にもかかわらず、その出動を要請していないわけであるが、<証拠>によると、当局側としては、出来るかぎり平穏裡に事態を収拾する意思であり、また僅か四名にすぎない公安職員の出動を求めれば却つて混乱を招くものと判断して、その出動を要請しなかつたことが疎明される。また警察官に対して出動を求めなかつたことも右と同様に平穏裡の収拾を考慮したためであつたと推測される。したがつて、公安職員或いは警察官の出動を要請しなかつたからといつて、組合側の不当な圧力と区長らの畏怖等の存在を否定するわけにはいかない。

しかして、右のような抗議の結果、区長および石井助役をして過労により可成り長期の入院又は通院加療を要させるにいたつたことも、無視できないところである。なお、右両名とも翌朝も勤務に追われているが、これをもつて、本件抗議と右身体傷害との間の因果関係を否定できない。

4 右2および3によれば、本件抗議行動は、正当な組合活動の範囲を著しく逸脱したものであつて、極めて違法性の強いものと評価せざるを得ない。

しかして、かかる抗議行動における申請人らの役割行動をみるに、申請人らの言動自体極めて不当であつたばかりでなく、申請人吉田は追分支部の青年部長、申請人村上は札幌地本の青年副部長の地位にあつて、抗議行動の際には、田原ら三役とともに常に区長らの近くに位置し(この位置からみても、抗議行動において重要な立場にあつたことが推認できる)、いつも一般組合員らに先んじて、極めて不当な威圧的言動により区長らに対し種々の強要をなし、参加者が疲れて静かになると、当局側に対して「なんとか言え」と迫り、組合側にも「みんなどんどん言つてくれ」などといつて、椅子から立ち上がつて大声を出すなど終始不当な罵言、雑言による威圧的雰囲気を醸成せしめた主導的地位にあつたとみられる(前記疎明事実と<証拠>により判断できる)。

なお、田原ら三役が本件抗議行動における抗議事項等について一応の方針を決定していることは、前記疎明事実と<証拠>によつて窺われるところであるけれども、申請人らの言動はもはや三役の統制内のものとは、とうてい解されない。

5 以上説示したところによれば、申請人らの行為が懲戒事由を定めた被申請人の就業規則(<証拠>)六六条一七号「職員として著しく不都合な行為」および国鉄法第三一条に該当し、これにより懲戒に付しうることは明らかである。そして、その程度、態様からすれば、前記1の入園問題に関する当局側の慣行無視の事実(かかる事実は、本件のような違法な抗議行動とは特段の開連があるわけではなく、その情状を軽からしめるものではない)が存在したところで、被申請人が申請人らを懲戒免職に付したことをもつて、社会通念上著しく均衡を失した処分とまでは断定できず、したがつて右免職を無効とみるわけにはいかない。

6 なお、申請人らは右懲戒免職をもつて不当労働行為というけれども、申請人らの行為はとうてい正当な組合活動といい得ないし、被申請人が申請人らの平素の組合活動を嫌悪するが故に右措置に及んだものとの疎明はない。もつとも、田原ら三役は申請人らのように重い懲戒をうけてはいない(<証拠>によれば、支部委員長の田原は、本件抗議行動のほか、二月一八日以降の休暇闘争について停職六月の懲戒を受けたにすぎないことが疎明される)し、申請人らが平素熱心に組合活動を行つていたことは、<証拠>によつて疎明できるけれども、前説示のように申請人らの役割、行動は、田原ら三役の統制内のものとはいえないし、その程度、態様に鑑みれば、右事実が存するとしても、本件懲戒免職をもつて、未だ申請人らの組合活動を主たる動機、理由とするものとはいえないところである。したがつて申請人らの右主張は採用できない。

第四申請人佐久間、同小林の申請に対する判断

一当事者間に争いのない事実及び<証拠>によれば、以下の事実が疎明される。

1 札幌地本は被申請人が札幌地本との取決めにより慣行化していた先任者優先による学園入園の方法を一方的に改め、通常の競争試験を採用するに至つたとして、これに対する抗議のための行動を傘下各支部に行なわせる目的で闘争指令(事実摘示第三の四の1)(編注、前出)を発したもので、これを受けた岩見沢支部では昭和四一年二月一六日執行委員長代行(副執行委員長)城座正美、書記長申請人小林その他執行委員により構成される執行委員会が同支部も右指令に従つて闘争を行なうことを決定し、以後連日右指令の具体的実施方法、当局側からの分裂工作に対する対策等を討議した後集会を開きその結果を支部所属組合員に伝達してこれを実行させて組合員の闘争を指導した。この闘争は以後同年三月七日まで続けられたが、この間同支部の指導の下に行なわれた行動は次のとおりである。

(一) 勤務中の組合員が「団結」と書かれた鉢巻、「動力車岩見沢支部」と書かれた腕章を着用した。

(二) 組合員は同年二月二一日から同月二六日まで平常、平均時速二〇キロメートルの速度で行なわれている岩見沢駅構内の車両入換作業を平均時速五キロメートルで行なつた。この間支部組合幹部は組合員による入換作業を看視していたこともあつた。このため、右期間入換作業が遅れ貨車の組成ができなくなり未仕訳車を出すなど次のような列車運行上の支障が生じた。

二月一九日 未仕訳貨車一一九両

二〇日 一〇便の本屋操車場間小運送中止

二一日 未仕訳貨車一〇両

二二日 未仕訳貨車一〇六両

二三日 未仕訳貨車八一両

二七二列車の後方増車函館二〇両増結予定中止

二六日 未仕訳貨車四一両

岩見沢機関区で仕訳作業が進まないため七七二列車美唄駅にて三五両残し四両のみで岩見沢駅に到着一六六列車を未仕訳車のまま三二七八列車に継送して発車させた。

二八日 一四、一五便の小運送中止

(三) 被申請人主張のような申請人両名が参加した無許可の集会(事実摘示第三の四の2の(一)の(3)の(イ)ないし(ヘ))が岩見沢機関区乗務員詰所、同詰所前及び講習室において開かれた。

(編注、右引用部分を掲げる。)

事実摘示第三の四の2の(一)の(イ) 同月二一日午後五時四〇分ころから約五〇分間同機関区乗務員詰所及び同詰所前において組合員約五〇名による集会。

(ロ) 同月二六日午後三時一〇分ころから約四〇分間前同所において組合員約四〇名による集会。

(ハ) 同月二七日午後三時一五分ころから約一五分間前同所において組合員約四〇名による集会。

(ニ) 同月二八日午後三時一〇分ころから約三〇分間前同所において組合員約四〇名による集会。

(ホ) 同月一九日午後五時三〇分ころから約一時間同機関区講習室において組合員約一〇〇名による集会及び引続き組合員約七〇名を運転助役室に乱入させて約五〇分間土門助役に対し個人攻撃する等の抗議行動。

(ヘ) 同年三月六日午後四時四〇分ころから右講習室において組合員約五〇名による集会及び鉄道公安職員により右組合員が排除された後乗務員詰所内外において申請人小林が「当局が講習室の使用を邪魔し、われわれの集会を妨げた」旨演説し、全員が労働歌を高唱する等して午後六時一八分頃まで続行された集会。(編注、引用部分おわり)

右二月二一、二六、二八日の乗務員詰所における集会の際には、参集した組合員の労働歌高唱などによつて、隣接の運転助役室における電話連絡などの執務に支障を生ぜしめた。

また、二月一九日講習室における集会の終了後、同日午後七時三〇分頃から約三〇分間、申請人小林、佐久間ら組合員約七〇名が運転助役室に詰掛け、執務中の土門助役を取り囲んで、同助役が前日自宅待機を命ぜられて出勤しなかつたこと、同助役のとつた勤務変更の措置が不当であつたことを取り上げて、申請人小林において、「交番を間違つたのを、そのまま済まされるか」、「お前も体具合が悪いときは休みをとつた。我々も体が悪るけりや休む権利があるんだ、助役は休めても我々乗務員の休暇を承認しないのか」などと大声で非難し、また同助役の机を叩き、他の組合員もこれに同調して同助役を野次り、吊し上げを行つた。この間同助役はもとより、運転助役室にいた他の助役も、右の騒ぎによりその執務が妨げられた。

(四) 二月一八日から三月七日までの間、少なくとも、別表一記載の数以上の組合員が年次有給休暇、祝日代休、年末年始特別休暇、祭日休暇(以下総称して「有給休暇」という。)を請求したが、右請求に際し一組合員に数名くらいの組合員がつきそい、担当助役が業務上の支障を理由に右請求の一部を拒否すると、つきそい組合員が長時間にわたつて助役に抗議した。岩見沢機関区当局は、集中的に数多くなされた右の有給休暇請求について、その許否を決める資料とするため二月二〇日以降病気を理由として右請求をする者に対して診断書を要求し、更に同月二四日以降被申請人の指定する医師の診断書の提出を要求した。これに対し組合は、有給休暇請求に理由を述べさせたり資料の提出を求めたりすることは不当であるとして、多数の組合員を動員して抗議し、また、同月二〇日以降の請求者の多くは組合の指示により診断書を添付して病気を理由に有給休暇請求をしたため、担当助役としても、結局右請求を全部承認せざるを得なかつた。この結果

(イ) 多数の者が運転助役室において同時に、しかも長時間にわたつて休暇請求をなすため(同時に二、三〇名の者が請求に押しかけたり、また二時間近くも執拗に休暇請求、抗議をすることもあつた)、少くとも二月二一、二三、二六日には運転助役室は喧騒を極めて助役らの執務に支障を生ぜしめた(これらの日には、公安職員を出動せしめて組合員らを退去させている)。さらに(ロ)、右請求に対して岩見沢機関区当局として承認を与えた数は別表一記載のとおりであるが連日多数の休暇者が出たため、当局においては、代替要員の手配ができなくなり二月二五日から同月二七日までの三日間貨物列車一一本(二五日六本、二六日三本、二七日二本。運行距離408.3キロメートル以上)を運休させざるを得なかつた。

(五) 組合幹部を含む組合員約二、三〇名が(イ) 同年二月二〇日午後二時三〇分頃から約一五分間、出発点呼中の第四七八列車代務乗務員の河原宏を、(ロ) 同月二一日午前一一時四二分頃から約二〇分間、出区準備のため機関車整備中の第一八五列車代務乗務員小林久雄を、(ハ) 同日午後七時二五分頃から約一〇分間、出発点呼中の第二八八列車代務乗務員の高木宏を、それぞれ取り囲んで、「信号知つているか」、「こんなのが機関助士で乗るのでは危くて乗れない」、「タービンのつけ方もわからない者と一緒に行くのは不安だ」などと口々に野次つて、右代務者三名の業務を妨害した。

(六) 二月二一日入換仕業五番及び二二日入換仕業八番の岩見沢駅構内の入換作業中の機関車に組合の規制する速度で作業するため許可なく組合員が乗込み、被申請人に無断で所定の機関士と交代した。

(七) 組合は、二月一八日から同月二二日まで及び同月二八日に被申請人の許可を受けることなく岩見沢機関区乗務員詰所内に冒頭に述べた順法闘争の内容等を記載した掲示類を掲出した。

2 申請人小林は、支部書記長として本件闘争全般の指導にあたつた。すなわち、同申請人は執行委員会の決定に参画しただけでなく、組合員に対し地本指令を忠実に実行させるべくその伝達にあたり、所定日数の有給休暇を消化しないでいながらこれを請求しようとしない個々の組合員に対し右指令の趣旨にそつてこれを請求すべき旨説得し、有給休暇を申請する組合員に同道して担当助役に対し右請求を承認すべきことを強く迫り、担当助役が病気を理由とする休暇申請者に診断書の提出を要求したことを不当として再三抗議し、また、前記1の(三)記載の無許可集会に参加し、三月六日の乗務員詰所内外での集会で「当局が講習室の使用を邪魔し、われわれの集会を妨げた。」旨演説し、同日行なわれた土門助役に対する抗議行動においては中心的役割を果し、更に前記1の(五)に記載の代替乗務員河原に対するいやがらせにも参加し吊上げ行為を行なつた。更に、同申請人は、二月二〇日「高血圧症、二月二一日、二二日の両日休業加療を要する」旨及び同月二四日には「急性腸炎、本態性高血圧症、二月二三日から一週間安静加療を要する。」旨の病気欠勤の届をなし、同月二一日から三月一日までの間有給の欠勤扱の届をなし、同月二一日から三月一日までの間有給の欠勤扱いを受けたのに右有給欠勤扱いの趣旨に反し療養につとめず、その期間中書記長として前記1の(一)ないし(七)の行動を指導し、かつ(二)、(六)及び(五)の一部の行動を除き自からもこれに参加し実行していた。

3 申請人佐久間は、地本の闘争指令により、岩見沢支部執行委員長として、昭和四〇年一二月八日受験拒否指令を発し、再三職場集会等を開催し、支部組合員の入園闘争を指導してきていたが、地本から役職停止を内容とする統制処分をうけ、昭和四一年二月一六日開催された支部執行委員会において執行委員長を辞任した。しかし、当局側に対してはもとより、支部組合員らに対してさえ、右辞任を知らせることなく、同月一七日、副委員長城座正美および書記長申請人小林とともに、組合を代表して岩見沢機関区長山崎憲一に対し、「地本指令によつて翌一八日正午から無期限順法闘争に入る」旨通告し、具体的に、次のように積極的、指導的な行為を実行した。すなわち、

前記1の(三)の集会に参加し、そのうち、二月二六日ないし二八日の各集会において、当局が休暇請求に診断書を要求したことおよび当局の試験方法等について非難し、団結して本件闘争をなすよう参加組合員に要請する趣旨の演説をした(集会において演説したものは、佐久間のほか、二六日は城座副委員長、地本委員長輪島隆治、二七日は申請人小林、二八日は城座副委員長、動力車労組中央委員佐藤公哉であり、いずれも指導的立場にある者で、一般組合員は演説をしてはおらず、この点と申請人佐久間の演説内容からしても、申請人佐久間の指導的役割が推認できる)。右三月六日の講習室における集会に際しては、他の組合員ととも施錠してあつた同室の戸を外して組合員を入室させた。右二月一九日の土門助役の吊し上げに参加し、なおこの吊し上げの事態を収拾するため、当局側の要請により、ひき続いて区長室で行われた、休暇請求の取扱い等に関する交渉において、城座副委員長、申請人小林らとともに、組合側の交渉者として参加した。また前記1の(五)の代務乗務員小林久雄に対する業務妨害に直接参加し、制止に入つた区長らに対し、自ら、「事故が起きたら責任をもつか」、「機関士は機関助士を変えてもらわないと不安で行けぬ、といつている、発電機器もわからないようではどうにもならぬ」などといつて、小林の代務乗車について抗議した。また有給休暇請求者に同行して右請求が拒否されると担当助役に抗議し、再三助役室に入つて診断書を要求することは不当であると非難し、さらには当局の勤務変更について抗議することもあつた(なお、二月二四日午前一一時すぎ頃高見助役に対しこの抗議を行つていた際、傍でこれを現認していた札鉄管理局人事課員平間良夫に対し、「あなたはそちらに離れていなさい。私はこの支部の責任者だし、大声を出させないで欲しい」と、自ら指導的立場を表明しているのである)。さらに、二月一八日から三月三日まで公休を除き自らも有給休暇を請求し、そのうち二月二一日から三月二日までの間「急性喉頭気管支炎、安静加療を要する」旨の診断書を提出して休暇を得ながら、右のように本件闘争に参加したのである。

要するに、執行委員長を辞任したというものの、当局に対しては勿論、一般組合員にこれを知らしめていないのであるから、依然一般組合員に対して執行委員長としての指導力を及ぼしていたわけであり、この事実と右のような積極的指導的行為からすれば、事実上執行委員長としての役割を遂行したものということができる。しかも、本件闘争は、従前からの入園闘争の一環であり、申請人佐久間は委員長として積極的に活動してきたもので、その経緯に詳しく、特別の経験を有するわけであり、この事実と右のような積極的行為からみれば、本件闘争全般に関する執行委員会の企画、決定についても、これに参加し、重要な影響を与えたものと推認される。

前掲証拠中以上の認定に反する部分は措信することができない。

二ところで被申請人は本件免職の理由として、前記一の1の(一)ないし(七)の行為を申請人両名が指導しこれに参加した旨主張しているが、もしこれらの行為が全体として争議行為としての実体を有するとすれば、個々の行為が争議行為であること以外の理由で法令、就業規則にふれ違法性を帯びれば格別、そうでない限り結局申請人両名は争議行為を理由に解雇されたことに帰する。しかして、公労法一七条一項は公共企業体の職員及び組合に対し業務の正常な運営を阻害する一切の行為及びかかる行為を共謀し、そそのかし、あおつたりすることを禁止しているが、申請人両名は、右規定が憲法二八条に違反して無効である旨主張するので、本件免職の違否を判断するに先立つてこの点から検討する。公労法一七条一項が右のように規定した趣旨は、公共企業体そのものを保護するというのではなく、一般に公共企業体は他の私企業に比し公共性が強く、その職員及び組合の争議行為が国民生活に重大な影響を及ぼすおそれが多いことに由来するものと解され、かかる趣旨に立脚する限り右規定そのものを直らに違憲であるとなすことはできない(最高裁判所昭和二六年(あ)第一六八八号同三〇年六月二二日大法廷判決)。しかし、右の趣旨はあくまでも一般論であつて、ひとえに公共企業体といつてもその公共性には強弱の差があり、どの企業体においても職員又は組合が争議行為をすれば直ちに国民生活に重大な支障を及ぼすおそれがあるとは限らないし、公共性が強いとみられる企業体であつてもその争議の方法いかんによつては国民生活にさして重大な影響を与えない場合もあり得ることは容易に推測されるところである。しかして、公共企業体の職員も憲法二八条により労働基本権を保障された勤労者であると解せられる以上、公労法一七条一項がかかる行為までをも禁じ、その違反者に対し同法一八条により解雇等の不利益処分を課することまでも許容しているとまでは考えられない。すなわち、勤労者たる公共企業体の職員の労働基本権と国民生活全体の利益の調和との観点から考えるならば、同条にいう業務の正常な運営の阻害とは、当該企業体の職員又は組合の業務停廃を伴なう具体的行為によつて国民生活に重大な影響がもたらされるおそれある場合を指すものと解するのが相当であり、従つて、かかる行為が同条によつて禁ぜられている争議行為であるということができるのである。

三本件入園闘争のうち組合が特に闘争の中心として推進したのはその行為の態様からみて被申請人の業務を停廃させる目的の下になされた前記一の(二)の入換規制闘争及び(四)の有給休暇闘争であると推察することができる。そこで、本件闘争におけるこれらの業務停廃を生ずべき行為と公労法一七条の関係について検討を進める。

1 成立に争いのない乙第八四号証の被申請人の運転取扱基準規程六九条によれば、機関士が車両入換をするときの速度(時速)につき機関車のみのとき四五キロメートル以下、旅客が乗込んでいる車両により貨物車を入換するとき一五キロメートル以下、それ以外の場合二五キロメートル以下と定められていることが認められるが、右規定は安全の見地から各種の場合における入換速度の最高限を規制したもので、右規制をこえない限度でいかなる速度で入換作業を行なうべきかは各機関区の実状に応じて定むべきことが許容されているものと解すべきところ、岩見沢機関区では前記のとおり平常右規制の範囲内の速度である二〇キロメートル以下で機関車の入換作業が行なわれており、右速度による作業のため特に事故が発生したとか、その危険があると認むべき疎明もないから、平常時における二〇キロメートルの速度は適正なものであると認めて差支えない。(なお申請人らは、平常時の入換速度自体が危険を伴なうものである趣旨を主張するけれども、<証拠>によつても、未だこれを疎明するにたりない)しかして、組合の指導下になされた入換速度規制闘争の結果岩見沢駅では貨車の仕訳が遅れ、貨物の輸送業務に支障を来たしたことは既に認定したとおりであるが、貨物輸送は全国的規模を有する被申請人の重要業務のひとつであるから、これに支障を及ぼすような業務停廃行為は国民生活に対し重大な影響を及ぼすおそれある行為というべきであり、組合の指導下になされた前記入換速度規制闘争は、岩見沢機関区において運転基準取扱規程の定めに従つてなされている平常の入換速度に明白に反する怠業的行為であるから、これによつて前記のような支障が発生した以上、これを公労法一七条一項により禁止された争議行為と認めて差支えないものというべきである。もつとも、<証拠>によれば、同機関区作成の入換機関車乗務員作業指針によれば、同機関区では同駅操東仕業入換引上げの速度及び操北第一仕業における操北第一信号所地点での速度に関しては一〇キロメートル以下と定められており、平常これに従つて入換作業がなされていることが認められるが、地点のいかんを問わず一律に五キロメートル以下に速度規制をするならば、これは、争議行為と認められる状況に至つているものといわざるを得ない。

2 次に有給休暇闘争についても、前記のような大量の集中的な休暇申請は、これにより列車業務に支障を与える目的でなされたものであることは明らかであり、しかもその結果前記のとおり運休貨物列車まで生ぜしめ、貨物輸送業務に支障を及ぼしたのであるから、右闘争も公労法一七条一項により禁ぜられた争議行為というべきである。もつとも、<証拠>によれば、本件の場合、使用者の承認の有無にかかわらず請求等がいつせいに休暇をとるいわゆるいつせい休暇戦術とは異なり、休暇請求に対し承認を得られなかつた者は若干の例外を除いては殆ど乗務していることが疎明されるが、このように、当局側が右休暇請求を承認している以上、休暇者多数により運休列車が出たとしても、これと休暇請求との間に因果関係がないのではないかとの疑問が生ずる。しかし、本件闘争では前記のとおり組合としては列車業務に支障を与える目的でできるだけ多くの休暇承認者を得るべく二月二〇日以降は殆ど全員に病気を理由に休暇請求をさせているが、<証拠>により疎明される昭和三九年ないし四一年における毎年二月の休暇使用実績の比較は別表二のとおりであり、厳寒期であることを考慮に入れても、昭和四一年に限つてかかる大量の職員が罹病するとは常識上考えられないところである、現に<証拠>によれば、休暇請求が不承認となつたのに乗務を拒否した者のほか、申請人両名のように休暇承諾を得ながら本件闘争に参加し組合活動をしているところを現認されている者もいることが疎明されることからみても、右請求の大部分は闘争の目的を秘匿した虚偽請求と認めざるを得ない。しかし、担当助役としてはかかる虚偽請求であつても病気を理由とされる以上直ちにその真偽の判別はつきがたいし、かつ前記のように一人の組合員に数名の組合員がつきそつて長時間にわたり承認を迫られるので、結局病気を理由とする請求を全部承認せざるを得なかつたものである。そして、かかる事情によつて列車運行業務に支障が生じたものと認めるべきであるから、これと組合の指導下になされた有給休暇請求との間に因果関係が存するものということができる。

なお、申請人らは、休暇請求は列車乗務を阻害する目的ではないし、また列車運休との間に因果関係はないとの趣旨を主張する。しかしながら、右説示のように、担当助役が列車運行上の支障を理由に、休暇請求を拒否し、或いは診断書の提出を要求して不当な請求を制限するにかかわらず、したがつて列車運行上支障の生ずることを容認して、争議行為の一手段として休暇請求をなし、その結果当局側にやむなく休暇を承認せしめて(自己の職場における争議行為のために有給休暇請求をなすことは、権利の濫用であつて、当局側がこれを拒否し、或いは制限できることは、次に説示するとおりである)、札鉄管理局や他の機関区からの代務者の助勤があつた(<証拠>)にもかかわらず、列車の運休を生じたのであるから、本件休暇請求は、列車業務に支障を生ぜしめることを目的とするものと解することができ、かつ列車運休との間に因果関係の存することは当然といわなければならない。また予備要員の不足から生じた結果(列車運休)については当局側が責を負うべき旨主張するけれども、本件のような異常事態までを予定して予備員を整備する必要のないことに多言を要しないところであつて、右主張もとうてい採用できない。

申請人両名はいかなる目的に有給休暇を利用するもそれは労働者の自由であることを理由に使用者が労働者に対し休暇請求の理由を示すことを求めることは許されない旨主張する。しかし、申請人両名のような公共企業体職員が有給休暇を違法な争議行為に利用することが許されないのはいうまでもないことであつて、被申請人はかかる目的の下になされた休暇請求に対しては時季変更権を行使することなくこれを拒否できるものと解すべきところ、前記事実関係によれば、支部組合員による前記有給休暇申請は業務停廃を目的とするものでこれを認めれば被申請人の列車運行業務に支障を生じることが当然予測できる事態であつたから、被申請人としても右請求の許否を決する資料として病気を理由とするものについて診断書を要求することはなんら違法ではないし、その際、信頼度の高い診断書を得るため特定の医師を指定することも許されるものというべきである。

3 以上のとおり本件闘争の中心となつた入換速度規制闘争及び有給休暇闘争がいずれも公労法一七条一項により禁ぜられた争議行為と認められる以上、本件闘争も全体として違法な争議行為として評価され、被申請人がその行為者に対し、国鉄法、就業規則を適用し懲戒権を行使することは許されるものというべきである。

なお、申請人らは、右入換速度規制と休暇請求は公労法一七条により禁止された争議行為には該当しない趣旨を主張する。しかしながら、前説示のように国鉄業務の貨物列車の運行は、国民生活に重大かつ密接な関連を有し、その業務の停発は国民生活全体の利益を害するおそれの強いものであるから、その運行業務を直接担当する者の職務は極めて公共性が大である。しかるに、右職務に従事するものが、直接その業務に支障を来たすような争議方法により、七日間にわたり一〇両ないし一一九両の未仕訳車等とか、三日間にわたり二両ないし六両の運休列車を発生せしめるにいたつた(なお、これにより、その後の列車の運転計画等に影響を生じていることは当然推測できる)のであるから、かかる争議行為は、その態様、結果などからみて、同条によつて禁止された、国民生活に対し重大な影響を及ぼすおそれのある行為と判断するのが相当である。なお、当審証人城座正美は、岩見沢機関区操車場では、一日に取り扱う貨車は平均五、四二〇両であり、平常でも一日に三〇両ないし四〇両の未仕訳車が発生したことがあるとか、貨車の仕訳けに要する時間は約三〇両について二〇分ないし二五分位にすぎない旨証言するが、たとえ右証言どおりであるとしても、これをもつて、未だ右判断を左右するにたりない。<証拠>(貨物営業規則)も通常の場合の貨物取扱期間を定めるものであり、本件のような争議行為の場合についての判断資料とはなし難い。したがつて、申請人らの右主張は採用できない。

もつとも、申請人両名は公労法一七条一項違反者に対しては懲戒処分に関する国鉄法及び就業規則の適用なく、同法一八条による解雇をすることのみが許される旨主張する。しかし、右一八条は一七条違反の争議行為者について各種身分保障に関する規定にかかわらず解雇してもこれら諸規定に反しないことを意味するものであり、使用者が違反者に対していかなる措置をとるかについてはその合理的裁量に委ねたものと解すべきであるから、右違法争議行為の態様、対外的影響等諸般の事情からみてそれが懲戒事由を定めた国鉄法及び就業規則にも該当すると認められる場合には使用者はこれに対し懲戒権を行使することが許されると解するのが相当である。よつて、申請人両名の右主張は採用の限りではない。

四そこで、被申請人の申請人両名に対する懲戒権行使の相当性について検討する。

1 前説示一、1の(一)の、勤務中に鉢巻、腕章等の着用を指導した行為は、職員服務規程(成立に争いがない乙第二三号証の三)九条「服制の定めのある職員は、定められた服装を整えて作業しななければならない」および安全の確保に関する規程(前掲乙第八四号証)一四条「従業員は定められた服装を整えて作業しなければならない」の各規定に違反し、懲戒事由を定めた前記就業規則六六条一号「日本国有鉄道に関する法令、令達に違反したとき」に該当する。

同(二)の、入換速度規制によつて未仕訳車等を生ぜしめたこと、入換速度規制のためになされた同(六)の組合員の機関車への無断乗込みと交代、同(四)の(イ)の休暇請求の際に運転助役室における助役らの執務を妨げたこと、同(ロ)の休暇請求によつて貨車運休を生ぜしめたことを、それぞれ指導した行為は、いずれも懲戒事由を定めた右就業規則六六条一七号の「著しく不都合な行為」に該当する。

同(三)の乗務員詰所内外および講習室における無許可集会、三月六日の講習室における集会の際の施錠した戸の取り外し(但し、この点は申請人佐久間についてのみ該当する)、同(七)の無許可摘示行為を、それぞれ指導した行為は、いずれも被申請人の施設管理権を侵害するものであつて、右の「著しく不都合な行為」に該当する(なお、右(三)の集会の際に隣接の助役室における助役らの執務を妨げていることは、右施設管理権侵害の違法性を強めるものである)。

同(三)の執務中の土門助役に対する抗議行為、同(五)の代務乗務員に対する業務妨害を、それぞれ指導した行為も、右「著しく不都合な行為」に該当する(なお、右土門助役に対する抗議は、運転助役室に詰掛けてなされたもので、そのために他の助役らの執務まで妨げていることは、その態様において極めて悪質なものである)。

したがつて、申請人らは、いずれも右の各指導責任により、国鉄法第三一条、就業規則六六条一七号により懲戒を受けざるを得ないものである。

2 ところで、申請人らは、闘争中鉢巻、腕章等を着用することは正当な組合活動であり、集会、掲示等については、平常当局において業務に支障のないかぎり自由にその施設の利用を認めてきたのが慣行であるから、右の点はいずれも懲戒事由とはならない旨主張する。

しかしながら、前説示のように、組合の本件闘争の中心は入換速度規制と有給休暇請求であつて、本件においては、これを公労法第一七条に違反する違法な争議行為とみるべきところ、右勤務中における鉢巻等の着用、集会、掲示等は、いずれも右違法争議を強力に推進せしめるためのものといえるから、かかる行為は、もはや正当な組合活動とは認められないところであるし、また本件全資料によつても、当局が、本件乗務員詰所や講習室を許可なしに自由に使用させてきたものとは疎明できないから、右主張は採用できない。また、申請人らは、乗務員が機関車乗務中に許可なく、一時交替し、或いはこれに乗り込むことは慣行上容認されている旨主張するけれども、これを疎明すべき資料が存在しないばかりでなく、右行為は、前説示のように入換速度を規制するための行為であるから、その違法であることはいうまでもないところであつて、右主張もまた理由がない。

3 しかして、まず、その有する職務の公共性の故に法律上禁止された争議行為を敢えて遂行し、国民生活上の利益を侵害した責任は特に重大であるうえ、かかる違法行為を遂行するために、又はこれに関連して、服務規程に違背し、かつ再三にわたつて、施設管理権を侵害し、しかも、積極的に不当な圧力によつて当局側の業務を妨害したのである。総じて本件闘争は、程度、態様等極めて違法性の強いものといわなければならない。

申請人小林は、書記長として、これが企画、決定に参加したのは勿論、自ら率先その実行を指導したのであつて、懲戒免職に付されるのもやむを得ないところと考えられる。また申請人佐久間は一応執行委員長を辞任したというものの、実際上は本件闘争の企画、決定に重要な影響を及ぼしたものと推認されるうえ、その実行にあたつても、事実上委員長として指導的役割を果したとみられるから、その指導責任において、申請人小林との間にはなんら差異はなく、懲戒免職をもつて重きにすぎるとはいい難い。

ところで、本件闘争は、入園問題に関する当局側の慣行違反を直接の動機としているわけであるが、組合側要求の入園方法が必ずしも合理性を有するものとはいえないわけであるから、本件闘争に至る経緯を考慮しても、とうてい右判断を左右するわけにはいかない。

また、申請人小林は、同申請人の行動はすべて支部執行委員会の決議と城座委員長代行の指示に従つたものであり、本件闘争の最高の指導責任は城座委員長代行が負うべきであり、懲戒免職は処分の相当性を逸脱する旨主張し、<証拠>によれば、城座は本件闘争により停職六月の懲戒にとどまつたことが疎明できる。しかしながら同申請人は執行委員会の企画、決定に参画し、前説示のように積極的に本件闘争を指導したことからすれば、城座の処分の相当性の如何にかかわらず、右懲戒免職が不当であるとはいえない。したがつて、右主張は理由がない。

4 なお申請人らは本件免職が不当労働行為である旨主張するが、既に述べたことから明らかなように、本件闘争における申請人らの行為は正当な組合活動と認めることはできないから、本件懲戒免職は不当労働行為ではない。他に、被申請人が申請人らを組合活動の故に嫌悪して本件処分をなしたと認めるべき資料はない。したがつて、右主張も理由がない。

別表一

2月

17日

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

3月

1日

2

3

4

5

6

7

37

41

40

59

54

56

50

65

68

59

56

54

48

48

49

41

38

25

45

別表二

年次

有給休暇数

機関士

39年

160

40〃

134

41〃

465

機関助士

39〃

240

40〃

225

41〃

620

運転士気動車

39〃

83

40〃

64

41〃

124

三七(編注、ママ)してみると、被申請人が申請人ら四名に対し、国鉄法第三一条、就業規則六六条一七号に基づいてなした懲戒免職は有効であるから、同申請人らは、いずれもこれにより雇傭契約上の地位を喪失したものといわなければならない。

したがつて、本件仮処分申請は、いずれも被保全権利の存在を欠き、その必要性の有無を検討するまでもなく、理由のないものであり、本件事案、疎明関係のもとでは、保証をもつて疎明に代えることも相当ではない。

そこで、原判決中、申請人小林孝に関する部分は相当であるから、同申請人の控訴は棄却を免れず、申請人吉田清勝、村上義雄、佐久間慶一に関する部分は不当であるから、これを取り消し、その各申請を棄却すべきである。

よつて、訴訟費用につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条に従い、主文のとおり判決する。

(渡辺一雄 小川昭二郎 山之内一夫)

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